ウクライナ相撲連盟の設立
1997-1999年
ヨーロッパで相撲競技が確立されつつあった1997年に、エストニアの団体からウクライナ人として初めて相撲の試合に招待されたのは、元ソ連のサンボ格闘家セルゲイ・コロブコだった。当時はハリキウ国立薬科大学アカデミーの体育教育で准教授のキャリアを勤めていた。柔道の経験もあり若いころからスポーツの道を辿ってきたセルゲイ氏は、自身が持つ2000人規模の武道クラブに相撲を取り入れた。ウクライナにない新しいスポーツとの出会いは未来への希望があふれるもので、1999年にウクライナ相撲連盟を設立し、世界大会に出場する選手の育成に労力を尽す決意をした。
ウクライナ国のハリキウ州
2001-2002年
相撲が盛んになったもう一つの理由は、元横綱大鵬の父親のルーツがウクライナのハルキウ州にあること。日本との深い繋がりに感銘を受けたセルゲイ氏の故郷でもある。ハリキウ市内から150㎞離れた郊外のルノフシーナという小さな村の学校には、大鵬から贈られた記念品が大切に飾られていて、授業でも日本での功績を教えている。2001年に父親マルキン氏の生誕地を調査に訪れた日本の新聞記者は、ウクライナ相撲連盟と現地を訪れ、大鵬のために井戸の水と故郷の土を持ち帰ったという。2002年にハリキウで行われた日本大使主催の相撲大会は、元横綱を記念して大鵬幸喜杯と呼ばれ毎年行われるようになった。
国際相撲大会での快挙
2004-2006年
まわし5本でスタートしたウクライナ相撲だったが、当時の監督はレスリングやサンボ格闘技のコーチに相撲を教え、ウクライナ代表は2004年にドイツで行われた世界相撲選手権に出場した。ハリキウ出身のヴィタリー・ティヘンコ選手は、男子中量級85㎏で金メダル、チェルニヒウ出身のアリーナ・ボイコワ選手は、女子軽量級65㎏で金メダルを獲得し、世界の挑戦者を圧倒したデビュー戦となった。2005年に正式にウクライナ相撲連盟の代表監督に就任したセルゲイ氏は、翌年のヨーロッパ相撲選手権には60人の代表チームを構成した。相撲の競技は多くの選手が活躍できるスポーツとしての地位をウクライナで確立し、金メダルは誰にも大きな夢を与えた。
世界的な相撲ブーム到来
2012‐2013年
2012年にウクライナ・ヴォルィニ州・ルーツク市で、ヨーロッパ15各国から延べ600人が参加したヨーロッパ相撲選手権が開催された。大会には、在ウクライナ日本国大使館の坂田大使、元大関の音羽山親方が招かれていて、外国人は初めて日本の力士に相撲の指導を受けたのだ。現地には、NHKの刈屋富士雄アナウンサーが訪れ、相撲の普及を取材した番組が日本で放送された。同年は第18回世界相撲選手権香港大会、翌年はワールドゲームズ2013コロンビア大会、世界格闘技大会のワールドコンバットゲームズ2013サンクトペテルブルグ大会でも、正式種目の相撲に世界が湧いた。
日本の伝統からきたスポーツは、審判の採点だけで終わらない、思いやる気持ちの大切さをも教えてくれる
「相撲は世界で最も公平なスポーツである」